井上成美さんのこと

女のような名前だが帝国海軍最後の大将である

大将となるには天皇の裁可が必要であった

1945年に天皇が裁可した海軍大将はこの人とあともう一人

 

横須賀の海軍兵学校の校長が最後の役職となった

自分も横須賀には何だか縁があって年に何回となく訪れている

 

井上成美さんは戦後は一切の役職に就かず元大将でありながら

地元の子供たちに英語やフランス語、数学を教え

その月謝で細々とした暮らしを続けた

 

見るに見かねた戦時の部下だった人たち

兵学校時代の生徒たちから

会社の顧問になる話などさまざまな援助の申し出があったが

それらの全てを断ってしまった

 

まだ若いころヨーロッパ各地の大使館に武官として駐在していたので

英語、フランス語に堪能だった

フランス語に訳されたヒトラーの「マイン・カンプフ」(我が闘争

をいち早く読み日本人のことを

「わがドイツ人よりも数等劣った民族だが器用で使いまわしに都合がよい」

と書かれていたことから日独伊の三国同盟を阻止しようとした

 

日本がアメリカと開戦する前に山本五十六大将が

天皇から「アメリカとどのくらい戦えるか」と聞かれて

「1年くらいなら」と答えたことに対して

なぜ「アメリカと戦争をしてはいけません」と言わなかったのか

山本五十六大将に迫ったという逸話も残っている

 

こういう人だったから海軍では煙たがられて中央の役職からは外された

しかしながら戦況がもはや絶望的となり

和平への手探りが進められようになると呼び戻され海軍次官となった

 

戦後に新聞記者からあなたは海軍の中でもリベラルでしたねと問われ

ただのリベラルではなく「ラディカル・リベラル」だと答えている

 

終戦から数年がたったある日

天皇は「彼はどうしているか」と問われた

使者が横須賀の自宅に向けられたが

そのあまりの暮らしぶりに驚いたという話である。